日本歴史地名大系 「氷野村」の解説 氷野村ひのむら 大阪府:大東市氷野村[現在地名]大東市氷野一―四丁目・南郷(なんごう)町・三箇(さんが)一丁目・大東町・御領(ごりよう)一―二丁目・浜(はま)町・赤井(あかい)一―三丁目・太子田(たしでん)三丁目御領村の南に位置し東は深野(ふこの)池(干拓後は尼ヶ崎新田)、南は赤井村・太子田村。茨田(まんだ)郡に属する。地名は「河内国小松寺縁起」に引く久安元年(一一四五)の近衛天皇綸旨にみえるが、この文書は検討を要する。確かな史料では正治元年(一一九九)六月一〇日の将軍(源頼家)家政所下文案(菊亭家文書)に「氷野領」とみえるのが早い例であろう。この氷野領はのち西氷野庄とよばれた。また建長四年(一二五二)六月三日の藤原(水走)康高譲状案(水走文書)に「氷野河并広見池・細工等」がみえ、「藤原康高之先祖相伝之所職私領也」とある。この氷野河は当地付近の水域を示すものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by