永仁田村(読み)ながにたむら

日本歴史地名大系 「永仁田村」の解説

永仁田村
ながにたむら

[現在地名]波野村小池野しようちの 永仁田

東は小園おぞの村、西から北にかけて小地野しようちの村、南は波野村と接する。阿蘇谷東郷の南坂梨みなみさかなし郷を本郷とする外輪山外側斜面にある小村田地が乏しいので「野里」とよばれ、畠作生産物がおもな徴税対象となっていた。貞和四年(一三四八)一一月七日の南坂梨郷屋敷得分注文案(阿蘇家文書)に「一なかにたのふん 小次郎 四百文あひ(藍)しろ(代)百六十文かわ(皮)の代 五百文(苧)しろ ひへ(稗)三十(駄)まめ(豆)一石五斗 以上一貫六十文」とあり、銭一貫六〇文などが小次郎の得分となっている。小次郎は、同時代と思われる年月日未詳の南坂梨郷田地屋敷注文写(同文書)に「ミなミさかなしのかう小二郎ニ御はいふん候へき田地屋敷ちうもん」とあり、用作分三町八反、百姓屋敷二町一反一丈、永仁田など三「野里」を所有しており、北朝系大宮司家の庶子と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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