永瀬村(読み)ながせむら

日本歴史地名大系 「永瀬村」の解説

永瀬村
ながせむら

[現在地名]香北町永瀬

物部ものべ川を挟んで猪野々いのの村の南に位置し、下流西南には離れて蕨野わらびの村、上流槙山まきやま大栃おおどち(現物部村)。永瀬山山麓の狭い平地から斜面にかけて集落がある。「長瀬」とも記す。戦国時代後期に山本氏がいたが、同氏は永瀬山に築城し、楠目くずめ(現土佐山田町)の城主山田氏に仕えたと伝える。楠目城が長宗我部氏に攻略されると山田河内守は山本氏を頼り、山本左衛門進は七年間かくまった後、ともに阿波国海部かいふ郡に逃れ、河内守の病死後ひそかに帰村したと伝える。その子孫市は、母方伯父で長宗我部氏の重臣野中三郎左衛門に養育され、成人後元親に仕えて長野ながの村・禰須ねず村などで三町余の土地を与えられた。長宗我部氏の没落とともに帰農、現在地元に多い山本姓はその子孫という。

天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳では、「永瀬名」二〇筆二町七反一三代(田分一町五反余・山畠屋敷一町一反余)のすべてが「永瀬孫七扣」、そのなかの一筆に永瀬大良左衛門も住む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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