永覚新郷
えかくしんごう
[現在地名]豊田市永覚町・永覚新町
矢作川南端部に架かる葵大橋の西方に位置する。永覚町車坂には車塚古墳がある。近世を通じて岡崎藩領。近世上野雑抄によると、寛文七年(一六六七)国江村から分村している。西田新郷の大風溜池により、明和年間(一七六四―七二)の用水掛り地の高は八一石三升六合である。また天保一〇年(一八三九)岡崎宿の代助郷に対し、「大雨之節は誠に言語に絶し候村柄に御座候間、百姓共必至に行詰り難渋至極之村柄に御座候」とあり、水損を理由に休役を願出ている。ちなみに、当時の村高二五五石余のうち助郷高は五二石である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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