日本大百科全書(ニッポニカ) 「永観(ようかん)」の意味・わかりやすい解説
永観(ようかん)
ようかん
(1033―1111)
平安時代の三論(さんろん)宗の僧。「えいかん」ともいう。俗姓は源氏。文章博士(もんじょうのはかせ)源国経(みなもとのくにつね)の子。京都の人。1043年(長久4)に禅林寺(永観堂)の深観(じんかん)(1001/1003―1050)について出家し、翌1044年に東大寺で具足戒(ぐそくかい)を受けた。三論、法相(ほっそう)、華厳(けごん)などを学び、1064年(康平7)には法成(ほうじょう)寺の法会(ほうえ)の研学竪義(りゅうぎ)を勤めた。その後10年間にわたり、山城(やましろ)国(京都府)相楽郡の光明山に隠棲(いんせい)して念仏の行を修した。以後、光明山には東大寺三論宗の浄土教家が続々と入山し、南都浄土教史上に重要な位置を占めた。1086年(広徳3)に興福寺維摩会(ゆいまえ)の講師となり、1099年(康和1)に権律師(ごんのりっし)に任命され、翌1100年東大寺別当となった。のち禅林寺に住して、『往生講式(おうじょうこうしき)』や『往生拾因(しゅういん)』などを著し、念仏の民間布教に努めたことは、後年の浄土教成立の先駆者とされる。
[伊藤隆寿 2017年10月19日]
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