求院村
ぐいむら
[現在地名]斐川町求院
北流する斐伊川右岸にあり、北は神立村・千家村・富村、東・南は出西村。西は斐伊川を挟んで大津村(現出雲市)。初め神門郡に属した。村名の由来は次の神話による。成長しても、ものをいうことができなかった本牟智和気命が、空飛ぶ鵠を見て「あれは」と声を出された。天皇の命により家来が鵠を追って出雲まできて宇夜江で捕えた。そこが鵠の池で、その辺りを鵠村といい、のちに求院村となったという。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記載された輪は堀川輪・馬越輪・島崎輪・榎出輪。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高七八六石余、寛文四年(一六六四)の本田高七八〇石余・新田高五石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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