江副孫右衛門(読み)えぞえまごえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江副孫右衛門」の意味・わかりやすい解説

江副孫右衛門
えぞえまごえもん
(1885―1964)

碍子(がいし)技術者。佐賀県有田の陶業者江副八蔵の長男に生まれる。有田工業学校、東京高等工業学校(現、東京工業大学)窯業科を卒業し、1909年(明治42)に日本陶器合名会社(現、ノリタケカンパニーリミテド)に入社。同社から分離した日本碍子株式会社(現、日本ガイシ)に移り、工務部長、社長となり、25年間同社で特別高圧碍子・点火栓・化学磁器などの創製に尽力した。とくに遠距離高圧送電網確立の時代に、鈴木巳代三(1896―1957)とともに世界最強の碍子素地を完成し、重油焼成法を実現した業績に対し、1953年(昭和28)に日本化学会化学技術賞が授与された。その碍子製品は同社超高圧研究所内の碍子博物館に保存されている。

山崎俊雄

『小出種彦著『江副孫右衛門――近代陶業史上の一人間像』(1961・江副孫右衛門伝記纂集会)』

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20世紀日本人名事典 「江副孫右衛門」の解説

江副 孫右衛門
エゾエ マゴエモン

昭和期の実業家 東洋陶器会長。



生年
明治18(1885)年2月6日

没年
昭和39(1964)年8月24日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
東京高工窯業科〔明治42年〕卒

経歴
明治42年日本陶器に入社、大正5年技術部主任、8年同社碍子部が独立した日本碍子工務部長となり、昭和14年社長となった。この間日本陶器、東洋陶器の各取締役も務め、高級碍子の輸入阻止に努力、耐酸磁器の創製、点火栓碍子製造も始めた。戦後24年東洋陶器社長となって再建に努め、38年会長となった。24年には日本陶業連盟顧問を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江副孫右衛門」の解説

江副孫右衛門 えぞえ-まごえもん

1885-1964 昭和時代の実業家。
明治18年2月6日生まれ。東京高工(現東京工業大)窯業科を卒業して,明治42年日本陶器にはいる。大正8年日本碍子(がいし)にうつり,昭和14年社長。24年東洋陶器社長となった。昭和39年8月24日死去。79歳。佐賀県出身。

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367日誕生日大事典 「江副孫右衛門」の解説

江副 孫右衛門 (えぞえ まごえもん)

生年月日:1885年2月6日
昭和時代の実業家。東洋陶器会長
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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