江尻窪村(読み)えじりくぼむら

日本歴史地名大系 「江尻窪村」の解説

江尻窪村
えじりくぼむら

[現在地名]中富町江尻窪

中山(なかやま)中一二ヵ村の一つ。南東は遅沢(おそざわ)村、北は福原(ふくはら)村、西は梨子(なしご)村。早川(はやかわ)入往還の一拠点であり、そのため早川入一八ヵ村との通婚率は一五パーセントに上った(中富町誌)。慶長古高帳では高八一石余、幕府領。寛文一一年(一六七一)の検地帳(県立図書館蔵)によれば高一一五石余、反別田二町四反余・畑二三町四反余・屋敷七反余、屋敷数六一。家数・人数の推移は、文化七年(一八一〇)九九軒・三六七人、天保七年(一八三六)九七軒・三八八人、安政五年(一八五八)九四軒・三六一人(中富町誌)となっている。当村には天保飢饉で飢民の流入があったのか、最も深刻な飢饉状況を呈する天保七年、他村とは逆に人口が増えている。

「甲斐国志」によれば、遅沢村・福原村・梨子村の「三村ハ別ニ里正ヲ置カズ本村ニ隷ス、古時一村ト見エタリ」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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