日本歴史地名大系 「江弁須村」の解説 江弁須村えべすむら 千葉県:成田市江弁須村[現在地名]成田市江弁須・加良部(からべ)五―六丁目・橋賀台(はしかだい)一―三丁目・宗吾(そうご)三丁目・南平台(なんぺいだい)・飯田町(いいだちよう)大袋(おおぶくろ)村の北に位置し、北は佐倉牧のうち内野(うちの)牧を経て公津(こうづ)新田村。承応二年(一六五三)の公津村の分村により成立し、以後公津を冠称し公津江弁須村ともよぶ。佐倉藩領。分村時の高一〇二石余、承応三年の地詰帳(武田家文書)には印東(いんとう)庄公津(こうづ)江弁須村とあり、高一三九石余、元禄郷帳では高一六〇石余。ほかに幕府領の飯田新田に当村分として切添新田二六石余がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by