日本歴史地名大系 「公津村」の解説 公津村こうづむら 千葉県:成田市公津村[現在地名]成田市台方(だいかた)・下方(したかた)・大袋(おおぶくろ)・飯仲(いいなか)・江弁須(えべす)・飯田町(いいだちよう)・宗吾(そうご)一―三丁目・南平台(なんぺいだい)・橋賀台(はしかだい)一―三丁目・赤坂(あかさか)二―三丁目・吾妻(あづま)一丁目・加良部(からべ)一丁目・同五―六丁目など印旛(いんば)沼東岸にあった大村で、神津とも書いた。村名は式内社麻賀多(まかた)神社のための湊、すなわち神津が印旛沼にあったことに由来すると伝える(利根川図志)。その湊は下方村の沼中に鳥居を建てて鳥居(とりい)河岸とよんでいる場所にあったと伝える。印旛郡に属した。文禄元年(一五九二)九月二七日の八日市場領年貢勘定証文写(神保文書)によれば、八日市場村から関宿(せきやど)(現関宿町)に年貢を運送する際「佐倉公津」を経由しており、当地にあたるとも考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報