20世紀日本人名事典 「池田応助」の解説 池田 応助イケダ オウスケ 明治期の自由民権運動家,実業家 生年嘉永2年1月18日(1849年) 没年大正9(1920)年1月28日 出生地土佐国(高知県) 本名池田 政宅 経歴土佐藩医・池田敬斎の長男に生まれる。父業を継がず、明治4年政府の御親兵として陸軍に入り、少佐となり熊本鎮台大隊長に進むが、6年征韓論が敗れたため郷里の高知に帰り、立志社に加わる。10年の西南戦争の際、林有造らの蜂起計画に参加し5年の禁固刑を受ける。16年青森監獄を出て帰県。20年大阪・自由亭での全国有志大懇親会に板垣退助らと出席するなど自由派と連携を保つ。のち四国鉄道会社設立などを提唱して実業界に転じ、晩年は台湾殖産会社社長を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田応助」の解説 池田応助 いけだ-おうすけ 1849-1920 明治時代の政治運動家,実業家。嘉永(かえい)2年1月18日生まれ。明治政府の陸軍にはいるが,明治6年征韓論が敗れたため郷里の高知県にかえり,立志社にくわわる。10年の西南戦争のとき林有造らの蜂起(ほうき)計画に参加し禁固。のち台湾殖産会社社長。大正9年1月26日死去。72歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by