20世紀日本人名事典 「池田敏雄」の解説
池田 敏雄
イケダ トシオ
- 生年
- 大正12(1923)年8月7日
- 没年
- 昭和49(1974)年11月14日
- 出生地
- 東京・両国
- 学歴〔年〕
- 東京工業大学電気工学科〔昭和21年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔昭和36年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 毎日工業技術賞〔昭和33年〕,全国発明表彰発明賞〔昭和41年〕,オーム技術賞〔昭和41年〕,科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰〔昭和45年〕,恩賜発明賞〔昭和45年〕,紫綬褒章〔昭和46年〕
- 経歴
- 昭和21年富士通信機製造(のち富士通)に入り、電算機技術部部長などを経て、47年常務となる。コンピューター国産化のパイオニアの一人。49年次期社長を眼前に51歳の若さで急逝、死後異例の追贈で専務に昇格した。子供の頃は、数学に熱中、雑誌の懸賞難問を次々解いて賞金を獲得。学生バスケットボールでは1試合個人得点65点の公式記録を持つ。天才的芸術家肌の研究者で、夜中でもアイデアが浮ぶと思索する癖があり、出勤を忘れて創造活動に打ち込むため、会社も遅刻、欠勤などを特別扱いした。囲碁はアマチュア6段で呉清源と親しかった。著書に「データ通信」「電子計算機概論」(第2版)。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報