沖分
ひおきぶん
[現在地名]会津坂下町樋島
旧宮川(鶴沼川)と田沢川の中間にあり、樋沖新村・樋沖村とも記される。天保四年(一八三三)大江村の岡崎四郎右衛門が新田開発のため越後から四家族を招き、大江村の端村沖のうちを開拓して北樋沖分(沖新村)とし、樋渡村のうちで付近の百姓が開拓して南樋沖分(樋渡新村)とし、両者を併せて樋沖分として自分が肝煎役についた。
沖分
おきぶん
[現在地名]会津坂下町大沖
大江村の北東にあり、もと大江村と沖村の二村であったものが、沖大江村・大江おき村と総称され、寛文年中(一六六一―七三)には大江村の端村とされた(新編会津風土記)。天保四年(一八三三)大江村の岡崎四郎右衛門により、沖のうちを開拓して北樋沖分(沖新村)が開かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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