日本歴史地名大系 「大江村」の解説
大江村
おおえむら
神領村の北東にあり、南東部に広がる丘陵に灌漑用の溜池が点在する。村の中央を通る東海道沿いの両側に二町一五間、片側では四町に及ぶ町並が続いた(宿村大概帳)。地名は文章道で朝廷に仕えた大江氏が開発したことに由来するという。
大江村
おおえむら
貞永二年(一二三三)二月一六日付の天草種有譲状案(志岐文書)に「おほミ」とみえ、天草氏領内の
大江村
おおごむら
大江村
おおえむら
明治一六年(一八八三)から同三五年まで存続した村。仁木村の南にあり、余市川が流れる。山川地理取調図や板本「西蝦夷日誌」では余市川筋の「マクハツタリ」、タイメム、ホロメナ、チライマクンヘツ、「チユクニ」、「シユマウシヘツ」などが記される。明治一三年旧長州萩藩侯毛利元徳が旧藩有志を募って入植することを計画、同一四年粟屋貞一が派遣されて一一月までに四戸が移住、同一五年には一八戸・五五人が入った(状況報文)。同年一二月仁木、
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
- 岡山県:井原市
- 大江村
元和五年(一六一九)備後福山藩領となり、以降の領主の変遷は下稲木村と同じであったと考えられる。寛永備中国絵図では高一千五六一石余。正保郷帳では枝村に高見村・ごし村・西田村・宮脇村・
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
- 熊本県:熊本市
- 大江村
白川左岸に位置し、東は
大江村
おおえむら
大江村
おおごうむら
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
大江村
おおやむら
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
大江村
おおえむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報