沖構跡(読み)おきのかまえあと

日本歴史地名大系 「沖構跡」の解説

沖構跡
おきのかまえあと

[現在地名]鏡野町円宗寺

香々美かがみ川流域平坦部に構築された中世城館跡。山城ではないが、城の周囲に深い泥沼が広がり、容易に人馬が近寄れなかったと思われる。現在は東西に走る大規模農道の北側の水田中に畑地となって遺存し、水田との比高〇・七メートル、南北一二〇メートル・東西最大幅六〇メートルと推定される。

「作陽誌」に「芦田右馬允旧跡」とあり、また寺元てらもと村の茶臼ちやうす山と竹田たけだ村の大田和おおたわ堡の項によれば、永禄年中(一五五八―七〇)毛利勢は芦田氏を攻略すべく、茶臼山と大田和に陣所を築いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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