岡山県北東部の市。2005年3月英田(あいだ),大原(おおはら),勝田(かつた),作東(さくとう),美作の5町と東粟倉(ひがしあわくら)村が合体して成立した。人口3万0498(2010)。
美作市南部の旧町。旧英田郡所属。人口3688(2000)。吉井川支流の吉野川,河合川に沿って低地が開けるほかは吉備高原に属する低山地が広く占める。中心集落は吉野川と河合川の合流点に立地する福本で,かつては高瀬舟の出入りする河港であった。農業が基幹産業で,米作のほか,タバコ,栗,ハッカなどの栽培,酪農,肉牛飼育が行われる。また北隣の旧美作町海田から本町の尾谷にかけての山麓一帯は県下有数の茶の産地である。福本には鑑真の開基と伝えられる長福寺があり,三重塔,木造十一面観音立像などは重要文化財に指定されている。国道374号線が通る。
美作市北東部の旧町。旧英田郡所属。人口4804(2000)。吉井川の支流吉野川上流域に位置し,河川沿いに低地があるほかは大部分が中国山地に属する山地からなる。中心集落の大原は東粟倉・西粟倉両谷の合流点に立地する谷口集落で,江戸時代は因幡街道の宿場町として栄えた。古町,中町,下町が街路村を形成,古町には本陣跡が残る。農業が基幹産業で,米作のほか,野菜や花木の栽培,畜産が行われる。林業も行われ,杉,ヒノキの良材を産する。かつては養蚕が盛んで,1891年に製糸工場が設立された。智頭急行線,国道373号線が通じる。南東部の宮本は宮本武蔵の生誕地といわれる。
美作市北西部の旧町。旧勝田郡所属。人口3852(2000)。吉井川の支流梶並川源流部を占める南北に長い町で,河川沿いに低地があるほかは中国山地の山地が広く分布する。農林業を基幹産業とし,特に北部の梶並地区は県下屈指の林業地帯で,栗,シイタケ,ミツマタを産し,製材工場が立地する。梶並川谷奥には木地屋集落があり,古い習俗が残る。また当人祭で知られる梶並神社がある。梶並川ではマスの養殖が行われ,久賀ダムは釣りの名所である。
美作市東部の旧町。旧英田郡所属。人口7801(2000)。兵庫県と境を接する南北に細長い町で,吉井川支流の吉野川,山家(やまが)川沿いに低地が開けるほかは,山地,丘陵に囲まれる。中心集落の江見は吉野川流域の物資集散地,土居は出雲街道の宿場町として発展した。農業が主産業で,米・麦作のほか,タバコ,クリの栽培,酪農,養豚が行われる。中央部をJR姫新(きしん)線,国道179号線,中国自動車道が横断する。
美作市北東端の旧村。旧英田郡所属。人口1408(2000)。県下最高峰の後山(うしろやま)(1345m)西麓に位置し,東は兵庫県に接する。吉野川の支流後山川に沿って狭長な谷底平野があるほかは山地がほとんどである。農林業が主産業で,木材,クリ,ミツマタ,コンニャクなどを産するが,規模はきわめて零細である。役行者(えんのぎようじや)の開山といわれる後山には,今なお女人禁制の修験道場があり,道仙寺には全国から修行者が集まる。一帯は氷ノ山(ひようのせん)後山那岐山国定公園の指定区域である。
美作市西部の旧町。旧英田郡所属。人口1万3024(2000)。吉井川の支流吉野川,梶並川流域に位置し,津山盆地東端の平たん地と吉備高原に属する丘陵地帯からなる。両河川の合流点付近にある中心集落の林野は旧称(美作)倉敷で,江戸時代には河港として栄え,周辺の米をはじめとする物資の集散を行っていた。そのため英田・勝田両郡の行政・文化の中心となった。奥津温泉,湯原温泉とともに美作三湯に数えられる湯郷(ゆのごう)温泉があり,阪神方面からの客が多い。農業は米作のほかに野菜,果樹の栽培が行われ,海田(かいた)は県下一の茶の産地である。国道179号,374号線,JR姫新線が通じ,北部の楢原(ならはら)に中国自動車道の美作インターチェンジがある。恵心僧都作といわれる十一面観音菩薩像(重要文化財)と裸祭で有名な安養寺がある。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岡山県の北東部にある市。東は兵庫県、北は鳥取県と接する。2005年(平成17)勝田(かつた)郡の勝田町と、英田(あいだ)郡の大原、美作、作東(さくとう)、英田の4町および東粟倉村(ひがしあわくらそん)が合併して市制施行。北部は中国山地で、後山(うしろやま)(1344メートル)は岡山県の最高峰である。市域には、吉野川、梶並(かじなみ)川、後山川など吉井川水系の多くの川が流れている。北東部を智頭(ちず)急行と国道373号が走り、中央をJR姫新(きしん)線、国道179号、中国自動車道が横断し、作東、美作インターチェンジがある。そのほか、鳥取自動車道大原インターチェンジ、美作岡山道路湯郷(ゆのごう)温泉インターチェンジがあり、国道374号、429号が通じる。
旧美作町のあった美作地域には、市役所、美作県民局勝英(しょうえい)地域事務所など市の中枢施設がある。勝田地域は、中世には北半が梶並荘(しょう)、南半が小吉野荘となっていた。大原地域の中心集落である古町は因幡(いなば)往来の宿場町として繁栄した。また一帯は古代美作国英多郡大原郷(おおはらのごう)、中世は大原保(おおはらのほ)であった。旧讃甘(さのも)村宮本は宮本武蔵(むさし)の生誕地といわれ、武蔵資料館など関連施設がつくられている。北東部の東粟倉地域には修験道(しゅげんどう)の霊山として知られる後山があり、氷ノ山(ひょうのせん)後山那岐山(なぎさん)国定公園に含まれている。作東地域の中心集落の江見は旧出雲(いずも)往来の宿場町として栄えた。
主産業は農林業で、米作のほか、野菜や茶栽培、畜産など多様な生産を展開している。また、高速道路などの交通網を生かして、土居工業団地や作東産業団地などがつくられている。
長福寺三重塔は県最古の建造物であり、国の重要文化財に指定されている。そのほか、美作三湯の一つである湯郷温泉、自然体験施設「トム・ソーヤー冒険村」、ベルピール自然公園、バレンタインパーク作東、岡山国際サーキットなどの施設がある。面積は429.29平方キロメートル、人口2万5939(2020)。
[編集部]
岡山県東部、英田郡(あいだぐん)にあった旧町名(美作町(ちょう))。現在は美作市の南西部を占める地域。旧美作町は、1953年(昭和28)英田郡林野(はやしの)町と楢原(ならはら)、豊田の2村、勝田(かつた)郡湯郷(ゆのごう)町と豊国(とよくに)村が合併して成立。2005年(平成17)勝田郡の勝田町、英田郡の大原、作東(さくとう)、英田の3町および東粟倉(ひがしあわくら)村と合併して市制施行、美作市となった。津山盆地南東部にあり、吉井川の支流吉野川、梶並(かじなみ)川、滝川が合流する。中心地区の林野はもと美作倉敷(くらしき)といい、高瀬舟交通や倉敷往来の宿のある交通の要地で、近世の一時期には幕府代官所も置かれた。JR姫新(きしん)線、国道179号、374号、中国自動車道が通じ、美作インターチェンジがある。美作市役所、美作県民局勝英(しょうえい)支局がある商業中心地。また、インターチェンジの近くには中尾工業団地がつくられている。特産物に海田(かいた)の茶がある。湯郷温泉は美作三湯(さんとう)の一つとして知られる。「美作町の地下芝居(みまさかちょうのじげしばい)」は江戸時代に始まるもので県指定無形民俗文化財。
[由比浜省吾]
『『美作町史』全3巻(2003~2004・美作町)』
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