沢尻(読み)さわじり

日本歴史地名大系 「沢尻」の解説

沢尻
さわじり

[現在地名]南箕輪村沢尻

親村のくぼ村が現南箕輪村の最北端にあたるのに対し、枝村の沢尻は六キロを隔てた最南端の伊那市境にある。

その初見は天正六年(一五七八)の諏訪社上社の造宮所役に宮大工精進免之造宮銭次第(上諏訪大宮同前宮造宮帳)として、「沢尻之郷」とあり、合六四文を納めている。また天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳に村位は下、村高は「四拾(ママ)斗六升九合 沢尻」とあり一村をなしている。「長野県町村誌」の南箕輪村の項に、「古へ沢渡さわたる、中古沢尻と改め、文禄元年故有て亡村となる。明暦二年再び村落をなし、是より久保村に属す」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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