沢江村(読み)さわえむら

日本歴史地名大系 「沢江村」の解説

沢江村
さわえむら

[現在地名]古平郡古平町大字沢江町

明治初年(同二年八月―同六年の間)から同三五年(一九〇二)まで存続した村。浜中はまなか村の東、古平川左岸の全域を村域とする。海岸部はメナシトマリといわれ、東に法華ほつけ澗がある。明治四年の「北海紀行」ではメナシトマイとして戸数二三とある。同五年頃メナシトマリを沢江村と改称したという(状況報文)。同六年の「後志国地誌提要」に沢井村とみえ、戸数三三(平民一九・古民一四)、人口一二〇(平民六九・古民五一)、寄留戸数四(すべて平民)・人口二六〇(うち男二三〇)、三半船一七・保津船二五・磯船二八・土人船五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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