恵比須神社(読み)えびすじんじや

日本歴史地名大系 「恵比須神社」の解説

恵比須神社
えびすじんじや

[現在地名]桜井市大字三輪

三輪みわの中心部に鎮座。中世以来栄えた三輪市の鎮守で、祭神事代主ことしろぬし命・賀屋奈流美かやなるみ命・八尋熊鰐やひろのわに命。社伝によると金屋かなや(現桜井市)にあった海柘榴市つばいちの守護神として、大神おおみわ神社(現同上)摂社大行事たいぎようじ神社を勧請したのに始まると伝え、延長四年(九二六)七月長谷はせ(現同上)山崩れのため初瀬はせ川の水があふれて海柘榴市の人家が流された時(日本紀略)、市場も神社も当地へ移したという。古代の海柘榴市の位置については明確でないが、だいたい金屋から三輪にかけての一帯にあったとされ、「和名抄城上しきじよう郡に上市かみついち郷があり、現在、当社南に上市かみいちの小字が残る。

恵比須神社
えびすじんじや

[現在地名]苫小牧市字勇払

JR日高本線勇払ゆうふつ駅の北隣に位置する。祭神は恵比須神・市杵島姫命ユウフツに最初に設けられた堂社は弁天社で(東蝦夷地場所大概書)、一八世紀半ばと考えられている。明治初期には弁天社・龍神りゆうじん社・稲荷社・不動堂・北辰ほくしん妙見堂大黒天だいこくてんの六堂社になっていた(苫小牧町史)。明治五年(一八七二)に札幌神社(現札幌市中央区の北海道神宮)権宮司菊池重賢により神仏判然令に基づく調査が行われ、弁天社を厳島神社と改称し、龍神社を合併、稲荷社・北辰妙見堂をそれぞれ改祭して合祀し、大黒天は廃止、不動堂は除外することが提案された。同六年に開拓使は各堂社の合併・合祀を考慮して厳島神社から事代主ことしろぬし社へと社名変更させ、同八年の社格決定では村社蛭子えびす神社(祭神事代主命)とした(悠久二百年)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報