河内寺跡
かわちでらあと
[現在地名]東大阪市河内町
近鉄線に沿った西側傾斜地にある。付近一帯には河内寺と書いて「こんでら」と読む小字が残っており、江戸時代の終り頃、国学者としても知られる喜里川村の庄屋中西多豆伎が、同家所蔵の古瓦貼紙からその所在を推定し、また大正一二年(一九二三)に出された「中河内郡廃寺」にも紹介されている。遺構などが明らかになったのは昭和四二年(一九六七)と同四八年の調査によるもので、講堂跡や回廊跡の基壇や礎石が検出され、四天王寺式の建物配置で東西一町・南北一町半の寺域と推定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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