古代の宮殿・官衙・寺院の主要建物の大棟両端につけられた1対の棟飾瓦。中国とその文化圏に属する周辺諸国で用いられた。その起源は漢代にさかのぼり,大棟の両端をしだいに高めて棟反りを強調した形を反羽(はんう)と呼んだ。東晋代に鴟尾という名称があらわれ,北魏に至って鴟尾と呼ぶにふさわしい強く反り上がった形が完成した。隋・初唐代には,湾曲した形をさらに強調するため,脊稜を前方に突出させた初唐様式が登場し,中唐から晩唐にかけては大棟に取りつく部分を獣頭形につくる鴟吻(蚩吻)(しふん)に変化した。
日本には高句麗,百済を経て6世紀末に伝えられ,飛鳥・白鳳・奈良時代の寺院に盛んに用いられるとともに,奈良・平安時代の宮殿・官衙にも使用された。その分布は東北から九州にまでおよび,200以上の出土例が知られているが,全形がうかがえるのは10例ほどである。飛鳥・白鳳時代には百済様式の瓦製品が多数を占めるが,《大安寺伽藍縁起》には,その前身寺院である百済大寺金堂に石製品を用いた記録があり,実例としては群馬県山王廃寺出土の2例と鳥取県大寺廃寺出土の1例が知られている。白鳳時代から奈良・平安時代にかけては,初唐様式の形を模倣した唐様式の瓦製品が主流を占め,その形が当時の沓(くつ)に似ることから沓形(くつがた)とも呼ばれた。《正倉院文書》や《西大寺資財流記帳》によれば,平城京内の諸大寺や宮殿には豪華な金銅製品が用いられたと推定されるが,瓦製の唐招提寺金堂西側例は奈良時代の唐様式の姿を伝える貴重な伝世品である。平安時代には金銅・鉛・木製の鴟尾が存在したことが《小右記》《百練抄》《二条院御即位記》などの史料に明らかであるが,遺例としては平安宮出土の鳳凰や宝相華唐草文を浮彫し,緑釉を施した典雅な瓦製品が知られている。
しかし,平安宮の廃絶とともにその使用はすたれ,中国宋代の鴟吻の影響を受けた鯱(しやち)(城の天守などに用いられ,火をきらう意味で魚の形が使われたという)が16世紀後半に登場するまで,その座を鬼瓦に譲ることとなった。
執筆者:大脇 潔
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古代の宮殿や寺院の建築の大棟(おおむね)の両端に据えられた飾り。鮪(しび)、蚩尾、鵄尾とも書き、沓形(くつがた)ともいう。主として瓦(かわら)製であるが石製、金銅製のものもある。中国の漢代には、建物の大棟は両端が高い、反羽(はんう)の状態につくられただけであったが、晋(しん)代になって初めて鴟尾が飾られた。日本でも飛鳥(あすか)時代に朝鮮から寺院建築が導入されて、鴟尾が用いられたが、奈良時代以降は鴟尾にかわって、鬼瓦が大棟の飾りの主流を占める。現存する古い鴟尾の例は、玉虫厨子(たまむしずし)や唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂にある。中国では唐末ごろから鴟尾が変化して海獣の形に似た蚩吻(しふん)となる。日本では鴟尾は中世になると廃れ、近世になって蚩吻の影響を受けた鯱鉾(しゃちほこ)が、城郭建築に用いられるようになった。
[工藤圭章]
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大棟の両端にとりつけた装飾。日本最古のものは飛鳥寺出土例である。本来は大棟の単調さを補うために両端をそり返らせていたが,やがて別造りのものを棟の両端におくようになり,その形から鴟尾・沓形(くつがた)とよんだ。石製や瓦製のものがある。中世以降になると鯱(しゃちほこ)が現れ,鴟尾にかわった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… 〈家〉の火災,〈家〉に住まう人々の病魔,短命,貧困はぜひとも避けねばならなかった。〈天井〉も水をつかさどる井宿(ちちりぼし)にちなんだ命名ともいわれるが,さらに天井には水草紋様をかき,漢代から屋根に鴟尾(しび)を飾って火災よけのまじないとすることがはじまった。また,〈家〉の定まった場所ごとに神々がまつられた。…
※「鴟尾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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