河内山城跡(読み)こうちやまじようあと

日本歴史地名大系 「河内山城跡」の解説

河内山城跡
こうちやまじようあと

[現在地名]勝田町河内

梶並かじなみ川沿いの河内集落の西にある中世の山城。遺構の本格的な調査は行われていない。「東作誌」には高さ五〇間で東西二〇間・南北一八間の本丸のほか二の丸が記される。美作菅家一族の有元佐弘は中島なかしま(現奈義町)西坪にしつぼ城から当城に移るが、元弘三年(一三三三)佐弘は京都四条猪熊合戦で敗死(「太平記」巻八)。その後も有元氏の居城が続いたと思われるが詳細は不詳。文明一二年(一四八〇)山名氏側に属していた有元氏らは赤松勢の新免氏の粟井あわい(現英田郡作東町)を攻撃するが(東作誌)、文亀三年(一五〇三)には竹山たけやま(現英田郡大原町)の新免氏と渡り合い当城主有元遠江守は敗れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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