河内浦城跡(読み)かわちうらじようあと

日本歴史地名大系 「河内浦城跡」の解説

河内浦城跡
かわちうらじようあと

[現在地名]河浦町河浦

一町田いつちようだ川沿いにあり、建武四年(一三三七)築城と伝えられる。建武四年五月三日付の一色道猷書下(志岐文書)に「山鹿兵藤太郎高弘申肥後国天草郡本島并亀河地頭職之事、請文披見訖、両度催促之処、河内浦大夫三郎入道構城、向使者放矢、致自放火」とある。現在、城跡に崇円そうえん寺がある。付近の字城山しろやまには戦国時代の築城という下田しもだ城跡があり、下田に所在する両城を併せて下田城、河内浦城とも総称される。河内浦城と下田城は同一の城ともいわれるが、ルイス・フロイス「日本史」に「天草(天草氏のこと)の諸領域は、長さが一四里、幅は所によっては五、四里、または二里である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android