河和田庄(読み)かわだのしよう

日本歴史地名大系 「河和田庄」の解説

河和田庄
かわだのしよう

鯖江市の東部、河和田谷一帯に比定される。保延五年(一一三九)一一月日付藤原周子寄進状(仁和寺文書)に「在越前国東条郡内 河和田庄」とみえ、藤原周衡の先祖相伝の所領であったが、娘周子に譲与され、さらに周子から待賢門院の御願寺法金剛ほうこんごう(現京都市右京区)に寄進され、その子孫は預所として荘務を執行することとなった。しかし検非違使有実が地頭下司を称して、預所美濃局(周子の娘)の荘務執行を妨げたので、寿永二年(一一八三)九月二七日、濫妨を止めるべく後白河院庁下文(同文書)が越前国在庁官人ならびに法金剛院領河和田庄官宛に発給された。元暦元年(一一八四)五月にも、地頭代僧上座の濫妨を停止させる後白河院庁下文(同文書)が発給されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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