河尻御蔵跡(読み)かわしりおくらあと

日本歴史地名大系 「河尻御蔵跡」の解説

河尻御蔵跡
かわしりおくらあと

[現在地名]熊本市川尻町

天保三年(一八三二)の川尻町絵図(川尻町史)によるとしも町の船着場の北側に東から東蔵・中蔵・外城蔵が立並び、それぞれに門がついていた。河尻御蔵は加藤清正の時代にすでに設けられていたが、細川氏の時代になって年貢米収納の御蔵として整備されてきた。当地の御蔵には飽田あきた郡の池田・横手・銭塘託麻たくま郡の本庄・田迎、上益城かみましき・下益城両郡の矢部・木倉・甲佐・鯰・沼山津・砥用・中山・杉島・廻江・河江、宇土うと郡の松山・郡浦の五郡一七手永の年貢米年間二〇万俵が搬入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 蔵役人 飽田 しも

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