河梨村
こうなしむら
久美谷川の支流河梨川に沿って、狭い谷の底に集落をつくる。西の河梨峠を越せば但馬に至る。
中世末の丹後国御檀家帳に「くみの川なし 家三拾軒斗」とある。近世には慶長検地郷村帳に馬地村の内として「河梨村」とみえる。その後分離・高付され延宝三年郷村帳では高一四九・〇五七石と記されるが、延宝九年(一六八一)の延高で二〇〇石余となった(天和元年宮津領村高帳)。小字七日仮屋は、昔、産屋を建てた場所であると伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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