河津城跡(読み)かわづじようあと

日本歴史地名大系 「河津城跡」の解説

河津城跡
かわづじようあと

[現在地名]河津町笹原・田中・浜・見高

通称大日だいにち(城山)とよばれる山(一七六メートル)の山頂を中心とする山城跡。蔭山勘解由広氏の居城と伝える(増訂豆州志稿)。広氏は鎌倉公方足利持氏の七男で永享の乱(一四三八年勃発)の時、乳母に連れられて笹原の蔭山氏のもとに逃れ、蔭山氏の娘婿となり蔭山氏を名乗った(寛政重修諸家譜)。その後、広親・広忠・家広・忠広・氏広と六代にわたり河津城主として続いたと伝える。伝説では伊勢宗瑞(北条早雲)が城を火攻めにしたため兵糧米で火を消そうとし、山頂で焼けた米が拾えるのはこのためだという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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