河窪村(読み)かわくぼむら

日本歴史地名大系 「河窪村」の解説

河窪村
かわくぼむら

[現在地名]菊陽町久保田くぼた

中代ちゆうだい村の西にあり、白川右岸の段丘上に立地。集落の北側を瀬田下せたした井手津久礼つくれ井手が流れ、周囲は水田地帯となっている。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳に「川窪村」と記され、戸数一二・家数六四、人数六九(うち庄屋一・百姓一一・名子六・下人一)、牛馬二八、高三五〇石二斗余で、津久礼組に属していた。同一二年の地撫帳では丸尾・もゝノ尾・志ばわら・堀畠などに田六町五反三畝余があり、まへ畠・こかまへ・丸尾・一町畠などに畠・居屋敷三〇町九反三畝余があり、すべて蔵納地であった。合志郡大津手永に属し、元禄国絵図に「中代村之内川窪村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む