20世紀日本人名事典 「河野恒吉」の解説 河野 恒吉コウノ ツネキチ 明治〜昭和期の陸軍軍人,ジャーナリスト 生年明治7年3月(1874年) 没年昭和29(1954)年5月19日 出生地山口県 学歴〔年〕陸士〔明治29年〕卒,陸大〔明治35年〕卒 経歴騎兵第3連隊付、明治36年騎兵学校教官、37年日露戦争に第2軍参謀として従軍。39年参謀本部員となり、日露戦争史の編纂に従事。45年朝鮮総督府付武官、大正4年騎兵第12連隊長、6〜8年ヨーロッパ出張、8年騎兵第16連隊長。ワシントン会議では尾崎行雄の軍備縮小同志会会員。10年少将、予備役。その後大阪朝日新聞社に客員として軍事顧問を担当。戦後軍部の歴史に筆を執り、著書「国史の最黒点」(全2巻)を刊行した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野恒吉」の解説 河野恒吉 こうの-つねきち 1874-1954 明治-昭和時代前期の軍人。明治7年3月28日生まれ。36年騎兵学校教官となり,日露戦争に第二軍参謀として従軍。日露戦史を編集。大正4年騎兵第十二連隊長。ワシントン会議のときは尾崎行雄らの軍備縮小同志会の会員だった。10年陸軍少将。のち大阪朝日新聞で軍事問題を担当。昭和29年5月19日死去。80歳。山口県出身。陸軍大学校卒。著作に「国史の最黒点」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by