治兵衛長次右衛門請所新田
じへえちようじえもんうけしよしんでん
[現在地名]焼津市治長請所・三和
中新田村の南、中根新田の西に位置し、東流する木屋川の右岸に立地する。志太郡に属し、御請新田・請所新田村などとも記された。慶長九年(一六〇四)の大井川の大洪水で荒廃した当地を、寛文一二年(一六七二)江戸の町人喜兵衛と五兵衛が請負って開発を進め、その後を庄五郎と長次右衛門が引継いだという(元禄一一年「御請新田初発之覚書」原川家文書)。当村は五平・土瑞(現藤枝市)、中新田・中根・本中根・大島・大島新田・三郎兵衛新田・上小田・北新田・与惣次・石津・田尻北・田尻・惣右衛門の一五ヵ村の地先に大井川の古川筋に沿って、駿河湾に面する付近まで三里にわたって散在する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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