日本歴史地名大系 「沼上村」の解説 沼上村ぬまがみむら 埼玉県:児玉郡美里町沼上村[現在地名]美里町沼上北東流する身馴(みなれ)川南岸の水田地帯に位置し、北は十条(じゆうじよう)村、東は桑原(くわばら)村。集落は北西の微高地上にある。条里遺構が残っていたが、現在は圃場整備によって消滅。現栃木県足利市の鑁阿(ばんな)寺が所蔵する永正一〇年(一五一三)正月二〇日の年紀をもつ法華経巻第一奥書に「武州児玉郡沼上郷妙珍禅尼」とみえる。天正一九年(一五九一)の八幡山(はちまんやま)城(現児玉町)城主松平家清知行分を示した武州之内御縄打取帳(松村家文書)に「沼上之内」とみえ、村柄は中之郷で田方四町四反余・畑方七町六反余、俵高二〇二俵余となっており、村の一部は八幡山領であった。 沼上村ぬまのうえむら 福島県:河沼郡湯川村沼上村[現在地名]湯川村湊(みなと)北を日橋(につぱし)川が蛇行しつつ西流し、湯川が溷(せせなぎ)川を合せて、南から西に流れを変えて日橋川に合流する。村南に昔は大きな沼があったための村名という。昔は珠島(ことしま)村といった(会津古塁記)。米沢街道が南の笈川(おいかわ)村から村の東端を通って北東の浜崎(はまさき)村に通じる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高四一四石余。文化一五年(一八一八)の村日記では高五五七石余。化政期の家数二六、ほかに文化元年に開かれた明官(みようかん)は家数四(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数三〇(社一・寺一)・人数一三九(人員録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by