日本歴史地名大系 「沼保村」の解説 沼保村ぬまのほむら 富山県:下新川郡朝日町沼保村[現在地名]朝日町沼保(ぬまほ)・横崎新(よこざきしん)北は大屋(だいや)村、東は横尾(よこお)村、西は東草野(ひがしくさの)村、南は道下(どうげ)村。享保三年(一七一八)泊(とまり)町の新屋敷地が村内につくられた。長さ二五六間八歩・幅三三間八歩一厘四毛で、総歩数は八千六八三歩。ほかに蔵屋敷地五五二歩が泊町につけられている。泊の町並は南北ともに沼保村と接する。永享五年(一四三三)将軍足利義教により、京都南禅寺語心院領として能登国藤懸(ふじかけ)郷(現石川県富来町)などとともに「越中国沼保半分」が安堵されている(同年七月四日「足利義教御判御教書」尊経閣文庫所蔵文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by