日本歴史地名大系 「泉園村」の解説 泉園村いずみぞのむら 大分県:大野郡清川村泉園村[現在地名]清川村六種(むくさ) 泉(いずみ)・上(かみ)ノ原(はる)宮津留(みやづる)村の西にあり、西部を馬背戸(ませど)川が北流する。正保・元禄両郷帳では村名を欠き、元禄見稲簿には岡領御絵図ニ出分として馬背戸村(現緒方町)の内として泉園村とある。安永七年(一七七八)には馬背戸組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。旧高旧領取調帳では高二一二石余。明治八年(一八七五)蔵内(くらうち)村など五ヵ村と合併、六種村となる。曹洞宗普門(ふもん)寺は寛永一四年(一六三七)光道の建立という(豊後国志)。寺伝では文明年間(一四六九―八七)月湲全鏡の開基という(「当山再建之碑」清川村誌)。浄土真宗本願寺派東勝(とうしよう)寺(現廃寺)は小宛(おあて)村南林(なんりん)寺(現緒方町)の末寺であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by