泉田町(読み)いずみたちよう

日本歴史地名大系 「泉田町」の解説

泉田町
いずみたちよう

[現在地名]相馬市中村なかむら 二丁目にちようめ

御小人おこびと町の東にある南北一三三間の町で、弘化四年(一八四七)以前には西側南角にうわ町に移る前の浄土真宗本願寺派光善こうぜん寺があった。家数はもと両側に七戸であったが、のち東側のみ五戸となり、嘉永年間(一八四八―五四)には三戸と減少して空地田畑と化した(以上「奥相志」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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