泉芳朗(読み)イズミ ホウロウ

20世紀日本人名事典 「泉芳朗」の解説

泉 芳朗
イズミ ホウロウ

昭和期の詩人 名瀬市長;奄美大島日本復帰協議会議長奄美群島の復帰運動のリーダー。



生年
明治38(1905)年3月18日

没年
昭和34(1959)年4月9日

出身地
鹿児島県大島郡伊仙町

学歴〔年〕
鹿児島第二師範卒

経歴
奄美大島で教師を務めながら詩集2冊を出版。昭和3年上京し、9年に「詩律」を創刊(のち「モラル」、13年「詩生活」と改題)。14年病気のため帰郷し同誌は廃刊となるが、通刊50冊を出版した。戦後奄美文芸家協会を創立、月刊誌「自由」を刊行。また、名瀬市長や奄美大島日本復帰協議会議長としても活躍。26年8月日本復帰を祈願して120時間にわたる断食祈願を行い、詩「断食悲願」を朗詠した。27年名瀬市長に当選。29年日本社会党に入党し、2回衆議院議員に立候補したが敗れた。奄美群島の復帰運動のリーダーで、“奄美復帰の父”“奄美のガンジー”とも呼ばれる。詩集に「泉芳朗詩集」などがある。昭和46年名瀬市おがみ山に胸像が建てられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「泉芳朗」の解説

泉芳朗 いずみ-ほうろう

1905-1959 昭和時代の教育者,政治家。
明治38年3月18日生まれ。昭和3年上京し,小学校教師のかたわら詩作活動をおこなう。14年郷里の鹿児島県奄美(あまみ)大島にかえり,小学校長,県視学などを歴任する。戦後の26年奄美大島日本復帰協議会を結成し議長に就任。120時間にわたる復帰祈願の断食をおこない,詩「断食悲願」を発表。27年名瀬市長。昭和34年4月9日死去。54歳。鹿児島第二師範(現鹿児島大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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