法光寺山城跡(読み)ほうこうじやまじようあと

日本歴史地名大系 「法光寺山城跡」の解説

法光寺山城跡
ほうこうじやまじようあと

[現在地名]篠山市殿町

波多野氏の居城八上やかみ城の西隣の丘陵上にあった。主郭部分は標高三四三・八メートル、比高一二三メートルで、周囲の南北尾根筋にも曲輪群が築かれている。尾根は緩やかで、地形上は決して要害の地とはいえない。永禄二年(一五五九)一二月内藤宗勝は波多野次郎の活躍を賞しているが(同月一一日「内藤宗勝領知宛行状写」波多野文書)、「八上法光寺山於相城」と記されている。相城とは城攻めの際の陣城と考えられ、法光寺山の相城か法光寺山に対する相城か定めがたいものの、少なくとも八上城攻防の際法光寺山も関連したことは間違いない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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