日本歴史地名大系 「法土寺村」の解説 法土寺村ほうどうじむら 富山県:新湊市法土寺村[現在地名]新湊市立町(たてまち)・中新湊(なかしんみなと)・二の丸町(にのまるまち)放生津(ほうじようづ)町の南東、内(うち)川の南に位置し、北対岸は荒屋(あらや)村。村名は道場の報土(ほうど)寺(現廃寺)に由来。当地域の開拓は時衆に負うところが大きく、放生津潟岸の設定や街道の改修なども教団の集団作業によったという(新湊市史)。かつて地内には報土寺のほか光正(こうしよう)寺(現本町二丁目)があった(同書)。村名名付帳(前田家文書)によれば荒屋村とともに金屋(かなや)村(現高岡市)の枝村とされた。正保郷帳では高一〇〇石余、田方六町七反余で畑方の記載はない。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二一一石、免三ツ(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by