法養寺村(読み)ほうようじむら

日本歴史地名大系 「法養寺村」の解説

法養寺村
ほうようじむら

[現在地名]甲良町法養寺

横関よこぜき村の西方下之郷しものごう村の東にある。天正一九年(一五九一)四月二七日の御蔵入目録(林文書)に村名がみえ、高五一二石余。慶長高辻帳に高五二七石余とある。当村は土地が低く、犬上川氾濫により度々浸水を受け、田の隅に「スイッ」とよばれる穴を掘って排水するほどであった。そこで井伊氏入封後の慶長年間(一五九六―一六一五)中頃、四町ほど南東高畑たかはたに移ったといい、旧集落は神明神社付近と伝える(「江左三郡録」など)。このことは、幕命で日光東照宮の寛永造替の大棟梁を勤めた名工甲良豊後守宗広が、三〇年後に帰郷しながら出生地の当村ではなく、四十九院しじゆうくいん(現豊郷町)に住んでいたことからも推測できるという(甲良町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む