波倉村(読み)なみくらむら

日本歴史地名大系 「波倉村」の解説

波倉村
なみくらむら

[現在地名]楢葉町波倉

西方から延びる丘陵東端にあたり、太平洋に面し、南は下繁岡しもしげおか村、北は毛萱けがや(現富岡町)。村域中央を才連さいれん川が流れ、流域水田が広がり、浜畑はまはたには砂浜がある。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録に「なみくら村」とあり、高二三三石余、小物成は塩竈四具・二貫四〇〇文、猟船三艘・九〇〇文とある。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では波倉之村とあり、高三三九石余。正保郷帳では田方二四六石余・畑方九三石余。元禄郷帳では浪倉村とあり、高四七二石余。領主の変遷は初め磐城平藩領、延享四年(一七四七)幕府領となる。同年の村明細帳(内藤家文書)では家数五二・人数二六八、馬三一。安政二年(一八五五)の書上(波倉区有文書)では田方三五町八反余・畑方七町七反余、家数一二・人数七〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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