波多城跡(読み)はたじようあと

日本歴史地名大系 「波多城跡」の解説

波多城跡
はたじようあと

[現在地名]波田町上波田

水沢みずさわ山の近くにある山城で、山上からは松本平まつもとだいらの中央部が望まれる。

享保九年(一七二四)の「信府統記」に「島立組 波多山ノ古城地、波多村ヨリ十一町二十間、光明寺沢ト云フ所ノ峰ナリ、今ニ土手一重、乾堀ノ跡モアリ、本城ノ平東西六間、南北二十間、波多某ノ要害ナリ、居住ノ地モ此辺ニアリシト云フ」とあり、現在も数段の郭・石垣・堀を残している。中世この地を領した波多氏の城と思われるが、記録資料はない。

「東筑摩郡村誌」に「城山 本村ノ西南ニ当リ、直立二町、山上ニ城趾アリ。東西二十間、南北二十五間、中央ニ井アリ、今ニ清水湧出ス。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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