波多野伝三郎(読み)ハタノ デンザブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「波多野伝三郎」の解説

波多野 伝三郎
ハタノ デンザブロウ


肩書
衆院議員(憲政本党),福井知事

生年月日
安政3年8月(1856年)

出生地
越後国長岡(新潟県)

学歴
共立学舎

経歴
明治7年上京し、共立学舎に学び、のち同舎で教鞭をとり、12年舎長となる。13年文部省に入省するが翌年辞職。15年以降嚶鳴社、改進党に参加、さらに毎日新聞社員となり政治・言論活動に入る。21年新潟県議。24年以来衆院議員に当選5回。この間、30年第2次松方内閣の下で福井県知事に任命される(31年辞職)。また石油会社役員なども務めた。

没年月日
明治40年2月13日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「波多野伝三郎」の解説

波多野伝三郎

没年:明治40.2.13(1907)
生年:安政3.8.22(1856.9.20)
明治期の政党政治家。越後国長岡藩(新潟県)出身。明治7(1874)年上京,尺振八の共立学舎に入学,12年嚶鳴社に加入,13年共立学舎を退き,文部省に出仕,14年文部省を退任後『東京横浜毎日新聞』に入社,19年まで同社にあった。15年立憲改進党結成とともに入党,以後一貫して改進党の立場を堅持した。21年新潟県県会議員,第2回,4回,5回,9回の衆院議員選挙に当選。この間第2次松方内閣時代の30年4月福井県知事に任ぜられた。しかし当時自由党勢力の大であった県会で不信任を可決され,県会を解散したが,進歩党と内閣との絶縁後30年11月早々に知事を辞し福井を去った。福井県にとって異色の知事であったといえよう。

(池内啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「波多野伝三郎」の解説

波多野伝三郎 はたの-でんざぶろう

1856-1907 明治時代の政治家,経営者。
安政3年8月22日生まれ。尺振八(せき-しんぱち)の共立学舎にまなぶ。嚶鳴(おうめい)社にくわわり,東京横浜毎日新聞社にはいる。新潟県会議員をへて,明治24年衆議院議員(当選5回,憲政本党)となる。30年福井県知事。のち宝田石油取締役など。明治40年2月13日死去。52歳。越後(えちご)(新潟県)出身。旧姓前田

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「波多野伝三郎」の解説

波多野 伝三郎 (はたの でんざぶろう)

生年月日:1856年8月22日
明治時代の政治家。衆議院議員;福井県知事
1907年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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