朝日日本歴史人物事典 「波多野伝三郎」の解説
波多野伝三郎
生年:安政3.8.22(1856.9.20)
明治期の政党政治家。越後国長岡藩(新潟県)出身。明治7(1874)年上京,尺振八の共立学舎に入学,12年嚶鳴社に加入,13年共立学舎を退き,文部省に出仕,14年文部省を退任後『東京横浜毎日新聞』に入社,19年まで同社にあった。15年立憲改進党結成とともに入党,以後一貫して改進党の立場を堅持した。21年新潟県県会議員,第2回,4回,5回,9回の衆院議員選挙に当選。この間第2次松方内閣時代の30年4月福井県知事に任ぜられた。しかし当時自由党勢力の大であった県会で不信任を可決され,県会を解散したが,進歩党と内閣との絶縁後30年11月早々に知事を辞し福井を去った。福井県にとって異色の知事であったといえよう。
(池内啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報