波庄(読み)はねのしよう

日本歴史地名大系 「波庄」の解説


はねのしよう

和名抄」に記載される安濃あの郡波禰郷が再編成されて成立した庄園。庄域は波根東はねひがし・波根西・仙山せんやま才坂さいざか山中やまなか神原かんばら朝倉あさくら近世の七ヵ村、あるいは波根東・波根西・朝倉・仙山の四ヵ村の範囲とも推定されている。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「はねのしやう四十丁」とある。庄園としての成立過程や庄園領主は不明。建武三年(一三三六)九月日の久利赤浪妙行代子息朝房軍忠状(久利文書)に「波禰五郎右衛門尉」の名がみえ、波禰庄の地頭と考えられる。貞和七年(観応二年、一三五一)一月一七日雲州田儀たぎ(現多伎町)地頭古荘二郎左衛門尉が波禰庄に打入り、鳥居氏・鳥越氏と合戦に及んでいる(同年二月日「西鳥居兼元軍忠状」閥閲録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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