泥谷 文景
ヒジヤ ブンケイ
大正・昭和期の日本画家
- 生年
- 明治32(1899)年1月25日
- 没年
- 昭和26(1951)年2月11日
- 出生地
- 香川県丸亀市
- 別名
- 別号=尺蠖堂其中,五鐘洞
- 経歴
- 明治42年大阪に出て南画家の姫島竹外に入門。大正15年九州に拠点を移し、鹿児島・延岡・都城などを転々としながら画業に励んだ。昭和4年にはじめて朝鮮半島・中国を旅行、以後しばしば同地に遊んだ。13年東京世田谷の烏山に転居。画壇との交渉が薄かったが、朝鮮旅行中に知り合った高島屋社長・飯田直次郎の助力を受けて17年以来毎年個展を開催した。同年北鎌倉に移るが、戦後は病気のため制作から遠ざかった。画集に「文景外史画集」「五鐘堂文景花鳥画冊」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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泥谷文景 ひじや-ぶんけい
1899-1951 大正-昭和時代の日本画家。
明治32年1月25日生まれ。42年大阪にでて姫島竹外に文人画をまなぶ。昭和4年より数回朝鮮,中国を旅行。17年東京と大阪の高島屋で個展をひらくなど,以後個展を発表の場とした。18年「五鐘洞文景花鳥画冊」を刊行。昭和26年2月11日死去。52歳。香川県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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