20世紀日本人名事典 「姫島竹外」の解説
姫島 竹外
ヒメジマ チクガイ
江戸時代末期〜大正期の日本画家
- 生年
- 天保11年3月10日(1840年)
- 没年
- 昭和3(1928)年3月3日
- 出生地
- 筑前国福岡(福岡県)
- 本名
- 姫島 純
- 別名
- 通称=解三,別号=玄洋,釣徒
- 経歴
- 福岡藩士。初め村田東圃、のち石丸春牛に師事し、南宗画を学ぶ。福岡侯に仕え、幕末は国事に奔走。維新後大阪に移り、画業によって立つ。「松石佳霊図」を東宮に献上してから画名を上げ、明治31年大阪の南宗画家と南宗画会を結成、幹事となる。33年同会を大阪南宗画会と改称、同年第1回全国南画共進会を開催、2等賞銀牌を受賞した。また日本美術協会にも会員として参加。晩年は門下も多く、社中で淑心会を組織、大正7年には竹外南画院を設立し後進の育成にあたった。門下に水田竹園、赤松雲嶺らを輩出、大阪南画壇の大家として活躍。山水、花鳥に長じ、ことに竹林を得意とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報