百貨店の老舗(しにせ)。1831年(天保2)飯田(いいだ)新七(1803―74)が京都烏丸(からすま)通りに妻と2人で古着木綿商「たかしまや」を開店したのが発祥。屋号は出身地近江(おうみ)国高島郡にちなんだ。1855年(安政2)呉服木綿商に転じ、87年(明治20)には店を拡大して美術織物、輸出用の刺しゅうの製作を行うようになった。貿易品の製作と販売がのちに高島屋飯田となり、第二次世界大戦後は合併されて丸紅飯田、現在の丸紅へとつながる。1887年、皇居の窓掛け、壁張りなどの用命を受けたのがきっかけで、97年東京に進出するとともに宮内省御用達(ごようたし)の商人に指定され、翌98年、大阪心斎橋にも店を開き一流の呉服商となった。1909年(明治42)合名会社、19年(大正8)株式会社組織に改組。1922年には大阪長堀橋筋に本格的な百貨店を開店、昭和初期にかけて百貨店として発展する。1930年(昭和5)より現社名。
昭和30年代に入り、アメリカ・ニューヨーク店を開店(1958)、1959年、別会社で横浜高島屋の設立をはじめ、以後、地方都市に高島屋系の百貨店を展開するとともに、関連会社の充実も図った。1995年(平成7)に横浜高島屋を含め子会社5社を吸収合併。翌1996年に新宿店を中核とした大型複合商業施設「タカシマヤタイムズスクエア」を開店、注目を集めた。2000年より三越(みつこし)と物流業務等の共同化を行う。資本金560億円(2008)、売上高1兆0427億円(2008)。店舗数は系列店を含め国内20、海外3。
[森 真澄]
『株式会社島屋編・刊『島屋百五十年史』(1982)』
三越と並ぶ百貨店の老舗。本社大阪市中央区。1831年(天保2)飯田新七が京都烏丸に木綿商高島屋を個人創業したことに始まる(現在も同族色が濃い)。屋号は飯田家の出身地江州高島郡にちなむ。55年(安政2)呉服商となる。87年皇居造営の際,調度装飾の注文を受ける。96年に大阪に,翌97年に東京に進出した。事業規模の拡大とともに1909年高島屋飯田合名会社に改組,19年(株)高島屋呉服店となり京都店を本店とした。30年現在の(株)高島屋と改称,44年には本店を大阪に移した。出店計画が積極的で,業界が多店舗戦略をとっていなかった59年に横浜に(株)横浜高島屋を設立,64年に米子,70年に立川と大宮,73年岡山と,傍系の百貨店を開業するとともに,直営店も1964年堺店,73年和歌山店をそれぞれ出店している。また1958年日本の百貨店として初めてニューヨークに現地法人ニューヨーク高島屋を開店した。ショッピング・センターの幕明けとして69年東京郊外の二子玉川に玉川高島屋ショッピングセンターを開設した。当初マイカー客を見込んだ立地選定は危険視されたが,人口の郊外への移動,マイカーの普及により78年には増築するまでになった。96年には百貨店が集中する東京・新宿に〈タカシマヤ・タイムズ・スクウェア〉をオープン,話題を呼んだ。このような出店戦略によりグループとしての売上げは百貨店業界第1位である。資本金391億円(2005年8月),売上高1兆0264億円(2005年2月期)。
執筆者:岡田 康司
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…初世から5世まであるが,4世が有名。4世(1812‐66∥文化9‐慶応2)は俳名米升,屋号高島屋。市村座出方の子で幼時大坂に上り,1822年(文政5)市川米蔵の名で子供芝居に出て各地を回り,29年(文政12)上坂した7世団十郎に入門。…
※「高島屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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