朝日日本歴史人物事典 「津崎矩子」の解説
津崎矩子
生年:天明6(1786)
江戸後期から幕末の近衛家老女。大覚寺門跡諸大夫津崎元矩の妹。13歳で近衛家に仕え,のち村岡局と称した。近衛家当主近衛忠煕の信任が厚く,忠煕が朝政の枢要を預かると,これを補佐した。僧月照 や西郷隆盛をはじめ諸藩の志士とのパイプ役でもあり,水戸家への勅諚降下にも奔走した。安政5(1858)年,安政の大獄により京都町奉行所に捕らえられ,江戸へ送られた。その道中に詠んだ和歌が「嬉しさをなにに譬へむするがなる富士の高嶺を近く見つれば」である。30日の押込めののち許されて帰京。その後,北嵯峨の直指庵を再興して,ここに退隠。明治維新後,賞典禄20石を与えられた。墓は直指庵にある。<参考文献>藤井甚太郎「老女村岡」(『中央史壇』3巻4号)
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報