江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ)。号は梅園,洞仙,二子山人など。豊後の国東(くにさき)郡富永村(現,大分県国東市の旧安岐町大字富清)で名望家の医者の家に生まれ,生涯,医を業とした。かたわら家塾を開き,常時20人たらずの寄宿生がいた。その一生はなんの波乱もなく,伊勢参りに1度,長崎へ2度,旅行したのみ,杵築(きつき)侯その他から出仕の招聘を受けたのもすべて辞退し,郷里を離れたことは一度もない。人となりは温厚篤実で安分知足をモットーとし豊後聖人の称があった。青年時代ごく短期間杵築藩や中津藩の儒臣に入門したほかはまったくの独学であった。ただ,若き日の友人でのちに大坂に出た天文学者麻田剛立(ごうりゆう),大坂懐徳堂の中井履軒とは生涯文通をもった。
幼時より天地万物あらゆることに疑いを抱きノイローゼを発するほど苦しんだが,20歳過ぎて西洋天文学書によって天地の形体を知るを得,29歳または30歳で〈天地は気なり〉と気づき,つづいてその天地万物に〈条理〉のあることを覚った。かくて条理探究の書《玄語》の稿を起こし,53歳でついに完成した。別に彼が思索の資料とした中国古典,日本・中国の医書,西洋学の書(《天経或問(わくもん)》,《解体新書》,清の梅文鼎の天文学書など)を縦横に引用し批判した《贅語》があり,また人倫哲学の《敢語》がある(合わせて〈梅園三語〉,すべて漢文)。そのほか経済論として有名な《価原》,漢詩概論として中国にも比肩するものなしといわれる《詩轍》など,卓越した著述が多い。《梅園叢書》は穏健な通俗的道徳教訓書である。1912年《梅園全集》上下(計2000ページ)が刊行された。
難解煩瑣な《玄語》を彼自身が和文で要約した《多賀墨卿君に答うる書》(岩波文庫《三浦梅園集》所収。〈明治以前において真に哲学精神によって貫かれている書物〉(三枝博音))によるとその条理の学(中心は自然哲学)の概要は,(1)天地を達観せんがためには,まず心から習慣による癖(習気)を除去せよ,そして万物万事に疑いを発せよ(〈天地をくるめて一大疑団となしたきものに候〉)。(2)聖賢の言でなく天地(つまり自然)そのものを判断の基準とせよ。西洋におけるごとき実測実験を重視せねばならぬ。(3)かくて探究のための格率は〈反観合一,心の所執(習気)を捨て,正しき徴(証拠)に依る〉である。反観合一とは条理を把握するための方法。(4)条理とは究極の存在者たる気が陰陽二気から成っているのに応じてあらゆる存在(一)は相反するもの(二)の合一である。すなわち〈一二〉の論理に貫かれているということをいう(三枝博音が弁証法哲学として高く評価したゆえん)。(5)万物は,気,物(気の結集体),神(気のエッセンス,エネルギー)より成る。万物は天地という構造をもつ。(6)天地は,時間空間,運動静止,容れる容れられる,明暗乾湿においなど,の4契機より成る。(7)天(自然)と人(人倫世界)は相反するものであるから,その研究法も前者は反観,後者は推観という別個のものでなくてはならぬ。要するに梅園の哲学はイエズス会士の伝えた西洋天文学(ただし地動説以前のT. ブラーエの段階)その他の諸科学を中国伝統の気の哲学によって解釈し独自の条理哲学をうちたてたもの,気の哲学の最後を飾るにふさわしい壮大精密な体系であるが,あまりに機械的でシンメトリックな論理主義のために気の哲学に固有な宇宙進化論を否定するに至っている。
執筆者:島田 虔次
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(山田慶兒)
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江戸中~後期の哲学者。享保(きょうほう)8年8月2日、豊後(ぶんご)国(大分県)国東(くにさき)半島の山中に生まれる。生涯この地で学者として過ごす。名は晋(すすむ)。字(あざな)は安貞。梅園は号。青年期に、長崎かその帰途の熊本で、中国経由の西洋天文学の知識に触れ、当時の日本の思想界を代表する仏教哲学や儒教哲学とは本質的に異なる第三の哲学を確立する。
第一主著『玄語(げんご)』(全8巻)は、梅園が独創した「反観合一」という名の認識論と「条理」という名の存在論によって、宇宙と自然と人間およびその間に派生するすべての現象を「一即一一(いちそくいちいち)」的に再構成した哲学書であり、第二主著『贅語(ぜいご)』(全14巻、1789)は、同じく認識論と存在論で、宇宙論、天文学、医学、地理学、生物学、鉱物学、経済学、倫理学、政治学等の諸学の範疇(はんちゅう)を『玄語』よりも具体的、贅疣(ぜいゆう)的(こぶやいぼのように無用な存在として)に再構成すると同時に、「反観合一」と「条理」の普遍妥当的有効性を論証する役割も果たしている、世界に類例をみない奇書である。第三主著『敢語(かんご)』(1763)は、「他人が容易に発言しえない正論を敢て語る」という意図から命名された倫理学の書物である。以上の三大主著を梅園自ら「梅園三語」と命名して重要視している。ほかに『価原(かげん)』『玄語手引艸(てびきぐさ)』『詩轍(してつ)』(1786)など著書多数。著書原本はすべて国の重要文化財に指定されている(指定名称「三浦梅園遺稿」)。「人生、恨むなかれ、人の識(し)るなきを。幽谷深山、華、自(おの)ずから紅(くれない)なり」。これは、寛政(かんせい)元年67歳の生涯を閉じるに際して、梅園が墨(すみ)黒々と書き残した自己の学問と人生に対する感懐であった。
[高橋正和 2016年7月19日]
『島田虔次・田口正治他校注・校訂『日本思想大系41 三浦梅園』(1982・岩波書店)』
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1723.8.2~89.3.14
江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ),字は安貞,梅園は号。豊後国国東(くにさき)生れ。長崎に2度,伊勢に1度旅行した以外,ほとんど故郷を離れることがなく,祖父の代からの医業を継ぐかたわら,研究と著作に精進した。根源的な思索ののち,気の哲学に到達し,儒教の自然哲学と洋学的な知識にもとづく体系的な自然哲学を提唱。彼によれば,天地万物は根元的な一気(元気)が現象したものであり,個々の存在は整然と秩序づけられる。それらの関係を条理とよび,条理を認識する方法が反観合一(はんかんごういつ)である。この独特の自然哲学は,主著の「玄語(げんご)」(「日本思想大系」所収)をはじめ「贅語(ぜいご)」や「敢語(かんご)」などの著作にまとめられている。
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…三浦梅園の主著。〈梅園三語〉の一つ。…
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