津川城跡(読み)つがわじようあと

日本歴史地名大系 「津川城跡」の解説

津川城跡
つがわじようあと

[現在地名]津川町津川 城山

阿賀野川と支流常浪とこなみ川との合流点に形成された麒麟きりん(一九五メートル)の西端にある。麒麟山城とも狐戻きつねもどし城ともいう。「会津塔寺八幡宮長帳」には応永二六年(一四一九)六月「小河城」とあり、また永正七年(一五一〇)六月「小川のきつねもとしへ松本けんさう殿越後せいをひきうちいられ候」とみえ、いずれも当城と思われる。「新編会津風土記」では狐戻塁跡について、東は石壁が高く狐も引返すのでこの名があるといい、建長四年(一二五二)蘆名氏一族の藤倉盛弘(のち金上氏)が築城し、金上氏は一四代の盛備までここに在城したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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