津川町(読み)つがわまち

日本歴史地名大系 「津川町」の解説

津川町
つがわまち

[現在地名]津川町津川

阿賀野川支流常浪とこなみ川が合流する南西側に位置する。「津川姿見」によれば集落は西の西にし村境を流れる津川沢の中流部にあったが、貞治元年(一三六二)新善光しんぜんこう寺が中興して同所からの木谷地はんのきやちに移転したのに伴い民家も移り、のち上町中町・下町などの町割を行った。町を称したのは慶長一九年(一六一四)という。「新編会津風土記」によれば町中を新発田しばた街道が通りその東口は柳原やなぎはら町、西に向かい上田かみたかみよこなかみなと・下田・柿木かきのきと各町が続き、家数は二九四。また北東に家一軒の滑沢なめざわ、南東に同一軒の奥田おくだがある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)の表紙に「猪苗代 南山 津川 伊南伊北」とあり、高は町分として「八百八十二石七斗二升」とみえる。元和六年(一六二〇)の漆木役は八七本八分(津川旧記)で、小川こがわ庄内では少ない役高だが、港口の近い下田町には廻米蔵とともに蝋蔵があった(阿賀の里)


津川町
つがわまち

面積:八四・二〇平方キロ

郡中央部に位置し、北は鹿瀬かのせ町、西は三川みかわ村、南は上川かみかわ村、東は福島県耶麻やま西会津にしあいづ町と境を接する。町の西半分を阿賀野川が流れ、支流の常浪とこなみ川は上川村のほうから北流して阿賀野川に注ぐ。近世期には同川水運の川湊、また新発田しばた街道(会津街道)宿駅として栄え、会津藩の西の要衝であった。東西に走る国鉄磐越西線および国道四九号が整備されてからは流通の中継地としては衰退していくが、郡の行政および商工業の中心として進展している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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