津布田村(読み)つぶたむら

日本歴史地名大系 「津布田村」の解説

津布田村
つぶたむら

[現在地名]山陽町大字津布田

厚狭郡の西部に位置し、東は末益すえます村、北は山野井やまのい村、西は土生はぶ浦に接し、南西瀬戸内海に面する。村の南部に標高一一四・六メートルのノ山があり、江戸時代には現下関市の火の山から現小野田市の竜王りゆうおう山に受け継ぐ狼煙場山であった。中央部を小正寺こしようじ川が南西に流れる。萩藩領で吉田宰判に属する。

仁治元年(一二四〇)九月一日付の関東御教書(榊葉集)に「八幡宮領長門国津布田庄」とみえ、石清水いわしみず八幡宮(現京都府八幡市)荘園があった。また中世に「津布田別府(「長門一宮住吉神社文書」所収建武二年一一月二八日付足利尊氏寄進状)とか「津布田郷」(「閥閲録」所収弘治三年四月二二日付竹田定安家文書)と称されることもあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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